【クラブ創設35周年記念手記:26回目】スタジアムDJカツヨシ さん
クラブ創立35年、節目を迎えられたアスルクラロ沼津。テッペンまでの階段途中とは思いますが、節目は節目、おめでとうございます。
時はさかのぼりますが、2000年に入り当時JFL(日本フットボールリーグ)を主戦場にしていたジヤトコサッカー部の試合を愛鷹開催時はツレと観戦。愛鷹スポーツ興行にてジヤトコの試合はワクワクしたものでした。並行して、アスルアカデミーでお世話になっていた子供の関係で、コーチや地元社会人で編成され、静岡県リーグで戦っていたアスルクラロ沼津トップチームの試合を観戦。固く、砂埃舞う河川敷のグラウンドで果敢にもスライディングする選手たちの姿を見て偉そうに「芝の上でやらせてーな」と帰りの車の中でツレとの会話は今も忘れません。
あるとき、アカデミーコーチから一本の入電。内容は
「9月11日にセレステ開催県リーグのスタジアムDJをやっていただけませんでしょうか」
僕は会話食い気味に「やるやるやる」。今だから言いますが、その時おぼろげにこのクラブと共にJという舞台で自分がそこにいると恥ずかしながら想像、妄想したのです。
なんといっても当時、県リーグでスタジアムDJを立て入退場演出、ハーフタイムショーをブッキング‥ある意味このクラブ尖ってました(笑)
以降これをきっかけに僕は2011年静岡県リーグ1部からアスル・ホームゲームスタジアムDJを担当することとなりました。
絶対あっては…やってはいけないエピソードを一つ。東海リーグの試合中レジェンド川村淳一選手(浮島ー東海第一中高ーヴィッセル神戸ージヤトコーイースタン04)の超美技プレーが生まれ、興奮した僕はマイクスイッチがオンになっていることに気づかず大声で叫んだ
「川村カッケー!!」
が試合中にもかかわらずスタジアムに鳴り響き両軍ベンチ、審判が一斉に僕を睨むという、そしてしばらく選手からイジられるという忘れられない事。後で聞いたらスタンドで観戦中のご家族が恥ずかしかったと伝え聞いた時‥以後気をつけます、、、と反省したかも。
今年の出来事です。大きなUー12県大会、エコパで行われた決勝戦。アスルは決勝に進めませんでしたが僕はスタジアムDJを担当。そして全てのチームが参加する閉会式。アスルクラロの子供達を見つけた僕は近寄り「中学に行ってもサッカー頑張れよ」と声を掛けに行ったまではいいのですが、子供たちの反応、誰?このおじさん…きょとん顔…直後
「あっアスルの試合の人だ。声、聞いたことあると思ったんだよねー」と
すごく嬉しかった。
長泉での子供サッカーイベントで近寄ってきた子供たちに
「愛鷹へアスルの試合見に行ったりするの?」と聞くと
「行くに決まってる」とリアクション。嬉しいねぇ。
調子に乗った僕は「愛鷹で試合のDJだよ」と伝えると、子供たち明るい顔で
「あー、あのゴーーーーールが長い人ね」と
そういう認識だったんだ、これまた気をつけます。
皆さんのお力でJリーグ基準の照明に改修された点灯式。雨なのか泣いてしまったのかビシャビシャになって感動し(実のところ号泣)、嗚咽込みでうまく喋られなかったあの夜。
2年前カップ戦で上位カテゴリーのチームを愛鷹で撃破したあの夜。
大好きだった選手がアスルを去る最後の日。書ききれないほどの出来事
知っている人は知っている…すぐ泣く僕。
お願いです、幸せなことで、嬉しいことで、楽しいことで僕をいっぱい泣かせてください
アスルクラロ沼津。
テッペンの景色見るため、どんなに長い階段でも皆さんと一緒に登ります、這いつくばっても登ります。そんな風に思わせ、感動をいつも与えてくれる
アスルクラロ沼津
スタジアムで声は前に出ておりますが、姿はあまり前に出ておりません。場外で見かけたら面白い話はできませんが気軽に声をかけてください。試合終了後全力ステージの機材片付けてます(笑)
では、愛鷹で
スタジアムDJ
DJカツヨシ