【クラブ創設35周年記念手記:31回目】川村淳一氏
アスルクラロ沼津が35周年を迎えられたこと、心よりお祝い申し上げます。
私は沼津市出身で、ヴィッセル神戸でプロとしてプレーをしましたが、思うように活躍できず悔しい思いをしました。その後、地元に戻り、当時JFLに所属していたジャトコサッカー部でプレーをしました。しかしクラブが解散することになった際、「この東部地域にサッカーの灯を残したい」という強い想いから、仲間たちと署名活動を行いました。多くの方々が協力してくださり、その想いが後にアスルクラロ沼津の礎となったと感じています。
その後、当時の社長・山本浩義さんと出会い、前身の沼津香陵クラブに入団しました。2005年から2014年まで在籍し、最後の年にはキャプテンを務めました。
在籍当時、トップチームの基盤はまだ十分に整っておらず、クラブを支えるためにスポンサー探しや、選手の食事を支えてくださるお店を見つけたり、雇用先を探したりと、できることは何でも取り組みました。サッカーだけでなく、チームの生活や環境を整えることも、自分の大切な役割だと思っていました。それでも、ピッチに立つ限りは常に全力でプレーし、クラブを少しでも前に進めたいという一心で過ごしていました。
こうした活動を快く支えてくださったスポンサー各社の皆様、スタッフの皆さん、共に戦ったOBの皆さん、そして何より応援し続けてくれた地域の方々には、心から感謝しています。多くの人の支えがあったからこそ、クラブはここまで歩んでこられたと思っています。
県リーグや東海リーグを戦った頃、仲間たちと「自分たちはプロのピッチに立てる技術はないかもしれない。でも、東部地域の子どもたちの未来のために今を頑張ろう」と語り合ったことを今でも鮮明に覚えています。東海リーグまで共に戦った仲間が作ってくれた横断幕は、今でも大切な宝物です。また、ジャトコ時代のサポーターが太鼓を持って応援に駆けつけてくれた時は、懐かしさと感動で胸がいっぱいになりました。サッカーを通してつながる「人の想い」の力を改めて感じた瞬間でした。
そして、私の背番号18を次のキャプテン・尾崎瑛一郎選手が、さらにその後に菅井拓也選手が引き継いでくれました。背番号には数字以上の意味があります。自分の想い、そしてこれまでクラブを支えてきた多くの仲間やOBの想いが込められた「18」が今もピッチにあることを、心から誇りに思います。プレーする姿を見るたびに、「あの時の努力は無駄じゃなかった」と感じ、嬉しくなります。クラブの歴史や魂が、確かに受け継がれているのです。
引退の際にはセレモニーまで開いていただき、仲間やクラブ関係者、地域の皆さんに見送られたあの日の光景は、今も鮮明に心に残っています。
35周年という節目を迎え、アスルクラロ沼津がこれからも多くの人に夢や感動を届けるクラブであり続けることを願っています。これまで関わってくださった全ての方々への感謝の気持ちは、今も私の中に生き続けています。その想いを胸に、今の選手やクラブには地域に愛されるチームとして、これからも全力で頑張ってほしいと思います。OBの一人として、これからもずっと応援しています。
有限会社川村室内工芸
代表取締役 川村淳一