【クラブ創設35周年記念手記:21回目】小花浩司氏
『アスルクラロ沼津 創設35周年記念手記』
アスルクラロ沼津関係者の皆さま、そしてアスルクラロ沼津を支え続けてくださっているサポーターの皆さま、クラブ創設35周年おめでとうございます。アスルクラロ沼津を応援している一サッカーファンとして心よりお祝い申し上げます。
アスルクラロ沼津の創設者である山本浩義氏と私は同年齢であり、別々の高校で対戦するも、一つの目標を目指す良きライバルという仲でありました。縁あって、同じ大学のチームメイトとしてサッカーはもちろん、プライベートでもお互いなくてはならない存在となっていきました。
そんな彼が、35年前に沼津でクラブチームを立ち上げるから、と熱い想いを語っていたことは、いまだに印象に残っています。そのころサッカー活動は学校単位(小学校・中学校・高校)が主流であり、多くの方に反発されたことを踏まえた上での彼の志望でした。
20年が経過した頃、山本氏から掛かってきた1本の電話は、県社会人チームを東海社会人リーグに上げたいので手伝って欲しいと言う内容でした。いままでアカデミーを中心に活動を続けていたのが、今度は社会人までと一瞬不安に感じ、まさかJリーグ参入なんて考えてないだろうな?と聞き返した覚えがあります。当時、静岡県社会人1部リーグで上位争いをしていましたが、東海社会人リーグへの参入戦には行けずチームから離れる選手もいるという状況の中で、クラブをピラミッド型にするためにも、トップチームは最低でも東海社会人リーグで活動しないといけない。
決して山本氏はクラブの事だけを考えている訳ではなく、東部地区をサッカーで盛り上げたいとの思いが強く、その思いに応えられるように3年で東海社会人リーグに上げると約束し、引き受けることにしました。専用グラウンド(セレステ)もありましたが、ジュニアユースの選手、スクールが主に使用しているため、21:00にならないと全面使用が出来ず、練習は20:30~22:00の時間帯で行っていました。また、当時の選手は色々な会社に勤めていたため、仕事が終わってからグラウンドに集まりましたが、今週は夜勤だから練習に来られない、残業で来られない、出張で来られないなど、集まる人数は10数名でした。試合当日も11人集まるのか、GKは来れるのか、など問題ばかりでした。そんな中でも選手は頑張り、成績も1年目県社会人リーグ1部3位、2年目は県社会人リーグ1部2位になり、東海社会人リーグ2部に昇格と着実に結果を残してくれました。そして3年目で東海社会人リーグ2部を2位という成績を収め東海社会人リーグ1部昇格に繋がりました。スタッフ・選手が一つになり、チャレンジスピリットを持ちえたからこそ、東海社会人リーグ1部まで昇格できたのだと思います。
当時のアスルクラロ沼津のスタッフ、選手及び関係者には心から感謝申し上げます。
アスルクラロで育った選手がJリーグ、そして日の丸を胸にブルーのユニフォームを纏う姿を見ることができたら、これほど嬉しいことはないでしょう。
現在、J3リーグで非常に厳しい状況ではありますが、今こそ原点に立ち返り、アスルクラロ沼津が掲げているクラブ理念に基づき、地域社会とサポーターに「歓喜」と「勇気」を与える強さを印象づけて欲しいと切に願っています。今後、50年、100年に向け、クラブの飛躍をご祈念申し上げます。
小花 浩司