【クラブ創設35周年記念手記:7回目】羽切勝利氏

【過去】
1989年にさかのぼります。
創業者の山本浩義さんから、電話が入りました。「沼津にサッカ-スク-ル主体のスポ-ツクラブを立上げるよ!」
この電話がアスルクラロの命が誕生した瞬間です。
当時は、ほとんどの小学校には、サッカ-経験者の父兄が指導者となってほとんどボランティアとして、「サッカ-少年団」
を運営していた時代です。もちろん、山本さんも私もその少年団育ちでしたので、「お金をもらってサッカ-を教えるなんて、
お世話になった少年団へ喧嘩売っているようなものだよ?」なんて、不安を山本さんへ伝えてもお構いなしに、「時代は必ず
少年団からクラブチ-ムに変わるんだよ!」と前しか見ずに、猪突猛進に昼夜を問わず創成期メンバ-3名ほどで走りまわって
いたことを懐かしく思います。
みるみるうちに時代は、Jリ-グの影響を受け、少年団からクラブチ-ムへ、部活動からジュニアユ-スへ、子供たちが動く
ようになりました。
U-15はアスルクラロが東部のシンボル、いや県内でも指折り数える強豪クラブに成り上がり、優秀な選手を多く輩出して、
静岡県内のサッカ-勢力図を書き換えたと言っても過言ではないです。
そんな栄光を抱えながら、いよいよJリ-グへの道が開かれました。
まさか、東部に、沼津にプロチ-ムが誕生するなんて、誰が想像していたことか。
ここからまた、新たな戦いが始まりました。
【現在】
35年が経ちましたか。あっという間だったような気がします。
セントラルスポ-ツクラブからアスルクラロに社名変更して、J3へ参画して、今はJ2を目指すクラブになりました。
創成期に比べて、今、目の前にあるいくつかの課題は、相当高いハ-ドルばかりです。
35年前は、片付けなければいけない小さな課題が山ほどあって、それを山本さん中心に自力でコツコツとクリア-してきましたが、
今の問題はそういうわけにはいきません。
時代は流れ、35年前は周りからのけ者にされていたクラブチ-ムも今は、東部だけでも何チ-ムあるのでしょうか?
絶対王者として小中学生の大会を連覇してきた我がクラブも、今は周りの強敵クラブと切磋琢磨しているぐらい、周りのクラブも力を付けて
きています。
J2、J1へ向けてスタジアム問題もあります。沼津市民の夢としてなんとしてでも、スタジアムを完成させなければいけない、そんな強い思いですが、
これも自力では到底叶わない夢に近いです。
35年の歩みをもってしても、まだまだ大きな夢を達成するには、力不足であることに間違いはないです。
J1の試合が新スタジアムでキックオフされることを夢見て、また明日を迎えます。
【未来】
2040年、アスルクラロのホ-ムスタジアムで、日本代表とブラジル代表との強化試合が行われます。
これって凄いことですよね!
日本代表チ-ムが沼津で試合するんですよ。世界最強のサッカ-王国の代表チ-ムが沼津に来るのですよ。
想像しただけでも、涙が出そうな話ですね。私は75歳になっておりますが・・・・。
そして、アスルクラロ出身の選手が、日の丸背負ってピッチに立っていたら、どうなっちゃうのでしょうか。
そんな夢見ましょうよ。
そのためにも35年歩んできたことに驕りを捨てて、これからの10年に向けて今以上に謙虚に地域活性化のために、
沼津を盛り上げるために、アスルクラロとして進化していくことを信じています。
15年後に50周年記念式典、記念試合を行います。
スタジアムには、アスルクラロ育成卒業生、ユ-ス、トップチ-ムのOB、会社関係者、その人たち15,000人がアスルブル-一色に
スタジアムを染めてくれています。
町は大渋滞!その日の沼津はアスル一色です。
そんな日が必ずきます。必ず来させます。
2040年、みなさん、楽しみにしていてください。
羽切勝利